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弁護士雑感

【弁護士雑感】裁判員裁判について

 2014年に神戸市長田区で小学1年の女の子(当時6)が殺害された事件について、大阪高等裁判所は本年2月10日、殺人やわいせつ目的誘拐などの罪に問われた被告人に対し、一審の「死刑」判決を破棄し、「無期懲役」の判決を言い渡しました。

 そこで、裁判員制度について、私の思うところを少し書きたいと思います。

 裁判員制度ももうすぐ8年を経過しようとしており、どの様な制度であるのかについてはある程度理解されている方が増えてきているとは思いますが、念のため簡単に御説明いたしますと、裁判員制度とは、刑事事件における重大事件(※)について、無作為に選出された国民が、裁判官と一緒になって、事実認定及び量刑判断を行う制度です。

 「陪審制」という言葉をお聞きになったことがある方も大勢いらっしゃると思いますが、アメリカやイギリスが採用している陪審制は、事実認定については国民から無作為に選出された陪審員だけで行い、量刑判断については裁判官が行いますので、日本の裁判員制度とは似て非なるものです。

 ここに事実認定とは、被告人が犯人と言えるか、言い換えると被告人は有罪であるか無罪であるかを判断することであり、量刑判断とは、被告人が有罪であることを前提に、被告人に対して如何なる刑罰を科すべきかを判断することです。

 事実認定は裁判において提出された証拠資料を基に被告人が間違いなく有罪だといえる場合には有罪の認定をし、逆に被告人が犯人であることに少しでも疑問が残る場合には無罪の認定をすることになります(無罪の推定)。

ただし、口ではこの様に簡単に説明できても、いざ刑事事件において実際に事実認定を行うとなるとこれは決して容易な作業ではありません。

 例えば、殺人事件において、被害者の大量の血が付いたシャツが、被告人の自宅の庭から発見されたという事実が裁判上明らかにされたとします。仮にこれだけの事実を示す証拠しか提出されなければ、被告人が犯人であることについて、誰しもが疑問に感じられるところかと思います。しかし、この様な事実に加えて、被告人が被害者と被害者の死亡推定時刻に会っていたという事実が、防犯カメラなどの映像により証明された場合はどうでしょうか。人によっては、これらの事実で間違いなく被告人が犯人だと判断される方もいらっしゃるかと思いますし、これらの事実だけではまだ別人の可能性は拭い去れないと考えて、被告人が犯人であることに疑問を呈す方もいらっしゃるかと思います。そして、ここからは、冤罪は絶対に避けなければならないという要請と、一方で、殺人を犯しているかもしれない人間を無罪放免にしても良いのかという疑問とが絶えず激しく衝突することになります。そのため事実認定に際しては、裁判員の方々は、非常に難しい決断を迫られることは間違いありません。

 しかし、更に、問題とされている事件について、被告人に対し如何なる刑罰を科すべきかという量刑の問題は、神様でもない限り正しい答えを見出せる問題ではなく、より難しい決断を迫られることになります。当然、過去の類似事件に関する大量の判例を参考にするわけですが、全く同じ内容の事件など存在しませんし、そもそもの前提として、過去の判例の量刑判断が妥当であると言える合理的な理由も存在しません。そのため、冒頭に書かせて頂いた事件の様に、「死刑」などの究極の刑罰を選択するか否かが問題となる事件においては、量刑判断についての裁判員の方々の精神的な御負担は恐らく想像を絶するものです。

 法がそこまでの負担を国民の方々に課してまで裁判員制度を採用した趣旨は、裁判官という特殊な職業に就いた人々だけで作られた既存の価値観の集積である判例に依拠していた刑事裁判について、一般市民の価値観を新たに導入するためであったことは疑いようがなく、裁判員の方々が苦心の末に導き出した結論に対して、従前の裁判に照らして重すぎる等といった理由で覆すのであれば、そもそも従前の裁判官による裁判で十分なのであって、それは裁判員制度の否定に他なりません。

 冒頭に書かせて頂いた事件の判決を受け、改めて私は、裁判所は従前の判例に依拠した考え方を抜本的に見直す必要があると感じました。

 皆様はどの様にお感じになられたでしょうか。

             

<弁護士 松隈貴史>

※ 対象事件

(1) 原則

① 死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に係る事件

② 法定合議事件であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係るもの

(2) 対象事件からの除外

(1)に該当する事件であっても、裁判員やその親族等に対して危害が加えられるおそれがあるような事件や、審判に要する期間が著しく長期になることが見込まれるような事件については、対象事件から除外されうる。