2017/01/26 弁護士雑感
【弁護士雑感】責任能力について
今年は、アメリカの大統領が変わり、またお隣の韓国の大統領も変わりますので、色々と日本を取り巻く世界情勢が大きく変容を遂げる一年になるかと思いますが、今年もよろしくお願い申し上げます。
今年最初の雑感という事で、何を書かせて頂こうかと色々と悩んだのですが、つい先日、2014年に、名古屋市で当時77歳であった女性が殺害された事件で、殺人及び殺人未遂等の罪に問われた名古屋大学の元女子学生(21)の裁判員裁判の初公判が名古屋地裁であり、弁護側が元女子学生の「責任能力」を否定し無罪主張をするということがありましたので、今回は、「責任能力」というものについて少し書きたいと思います。
「責任能力がなく、無罪」といった内容の判決があることを御存じの方も多いかと思いますが、「責任能力」とはそもそも何でしょうか。
責任能力について、大谷實先生は、著書『刑法講義総論』において、「責任能力とは、有責に行為する能力すなわち責任非難を認めるための前提としての人格的能力をいう。その内容とは、行為の違法性を弁識し、それに従って自己の行為を制御する能力と解すべきである」と述べておられますが、要は、責任能力とは、行為の善悪を区別でき、悪い行為については、それを行わないよう自制できる能力といえるかと思います。
刑法は、この責任能力に関し、次の二つの条文を置いています。
一つは、刑法第41条が、「十四歳に満たない者の行為は、罰しない。」と定めています。
この規定により、14歳未満の者が刑罰法規に触れる行為を行ったとしても、刑事罰に問われることはありません(保護処分の対象となることはあります。)。すなわち、刑法上は、14歳未満の者は、行為の善悪を区別でき、悪い行為については、それを行わないよう自制できる能力がないと考えられています。
もう一つは、刑法第39条が、 「1 心神喪失者の行為は、罰しない。2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」と定めています。
この「刑法第39条」という条文は、そのまま映画のタイトルに用いられこともあるほど有名な条文ですので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
「心神喪失者」とは、精神の障害によって、行為の善悪を区別し、悪い行為についてはそれを行わないよう自制する能力を全く有しない者を指し、「心神耗弱者」とは、精神の障害によって、行為の善悪を区別し、悪い行為についてはそれを行わないよう自制する能力が著しく低い者を指します。
ここでいう「精神の障害」とは、例えば、脳挫傷や老年性認知症などの精神病や、飲酒や薬物によって酩酊状態となる意識障害、先天的もしくは幼少期の原因により知能の発達が遅れている知的障害などを指します。
ニュースなどでは、弁護人が「責任能力を争う姿勢」というような報道をよく見かけられるかと思いますが、これは弁護人が、被告人の年齢を争うことなどあり得ませんので、「被告人は犯行時、心神喪失若しくは心神耗弱状態にあった」と主張していることを意味します。
ただし、刑事裁判において、心神喪失や心神耗弱が争われるケースというのは決して多くはありません。というのも、明らかに認知症等の病状のあることが見て取れ、被疑者の精神に障害があると判断されるような場合には、そもそも検察官が起訴まではしませんので、裁判になりません。
したがって、心神喪失や心神耗弱であることを弁護人が主張するケースというのは、一見すると精神に何ら異常は認められないが、犯行動機が一般人にはまるで理解できないような内容のものであったり、犯行態様が常軌を逸しているような例外的な場合に限られてくることになります。
では、裁判所において心神喪失若しくは心神耗弱状態であったかはどの様に判断されるのでしょうか。
一昔前までは、精神科医の鑑定結果を裁判所が無条件に採用するという流れになっていたようですが、現在では「被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって、専ら裁判所に委ねられるべき問題である」(最決昭和58年9月13日)との立場が採られています。すなわち、裁判所は、精神科医の鑑定結果に縛られることなく、独自の判断で結論を出すことができ、仮に精神科医の鑑定結果と全く異なる判断をしたとしても何ら問題はないことになっています。
「精神の障害」は、最終的には精神科医の主観に依って判断せざるを得ない部分も多いことから客観性に乏しく、また、残念ながら精神科医の中にも信用するに値しない人物もおられますので、精神科医の鑑定結果をそのまま鵜呑みにすることは非常に危険であり、上記最高裁の判断は至極妥当なものかと思います。
私自身、ニュースなどで「責任能力の有無が争いになる」との報道を見るたびに、自分なら、どうしただろうかと、悶々と考えてしまう日々を送っています。
人は何らかの犯行に及ぶ時、程度の差はあっても冷静さを失っており、その意味では精神に障害が生じていたといえなくはありません。そのため、犯人が犯行時、行為の善悪を区別し、悪い行為についてはそれを行わないよう自制する能力がなかったとまでいえるか、当該犯人にとって、再犯を防ぐために必要なのは刑罰なのか治療なのか、その線引きは非常に難しい問題です。
皆様は、どの様な感想をお持ちになるでしょうか。
寒い日が続いておりますので、どうぞご自愛ください。
<弁護士 松隈貴史>