2016/03/02 弁護士雑感
【弁護士雑感】お城と裁判所
法的紛争に遭遇した方が弁護士を探されるとき、一般的にはご自身の住んでいるエリアで探すことが多いものと思います。
とはいえ、いろいろな事情(例えばそもそも近くに弁護士がいないとか、知り合いの弁護士がいるとか、ネット等で調べて信頼できる弁護士を探したとか)で、遠方の弁護士にご相談をされる方も相当数おられます。
当事務所でも、大変ありがたいことに大阪はもちろん、大阪以外、さらには関西圏以外の方々からご依頼をいただいており、様々なエリアでの活動をしております。
そういったわけで、私は日本全国津々浦々の裁判所に出向くことも多いのですが、ふと気づいたことがあります。
それは、各地方裁判所のいわゆる「本庁」所在地のごく近隣には、非常に高い確率で「お城」があるということです。
「お城」として有名なものをざっとあげても、姫路城(姫路地方裁判所)、福岡城(福岡地方裁判所)、和歌山城(和歌山地方裁判所)、広島城(広島地方裁判所)などがあがります。皇居(東京地方裁判所)もまた元をたどれば江戸城であったわけですし、京都御所(京都地方裁判所)も厳密な意味では「お城」ではありませんがほぼ同様の施設と考えてよいでしょうから、その例に漏れません。
例外としては大阪地方裁判所や那覇地方裁判所があげられます。
大阪城のごく近隣にあるのは大阪家庭裁判所であって大阪地方裁判所は少し離れた淀屋橋の旧佐賀藩蔵屋敷跡に立っていますし、那覇地方裁判所は首里城とはずいぶん離れています。
これは何故なのかということを考えてみたのですが、少なくとも明確な文献などにより沿革や理由がわかるものはありませんでした。
ただ、おそらくは、明治時代に新政府ができ、政府の各機関を作った時に、なるべく旧時代(江戸時代)の構造物を流用していき、その際に裁判所の建物として旧時代に同様の役目を担っていた奉行所などの建物を活用したからではないかと思われます。
かつては領主の住まう「お城」が政治の中心であり、行政機関(※1)である奉行所などもまた、政治の中心である「お城」の近隣にあったのです。
また、単に流用できる建物の有無だけではなく、新政府にとっても政治の中心地区に裁判所等の機関を設ける方が、諸事都合がよかったとも考えられます。
そのため、政治の中心が「お城」になかった地域(大阪はむしろ商人の町であり各藩の蔵屋敷が存在しているエリアこそ政治の中心地区といえます)においては、裁判所は「お城」の近隣に建てられなかったのだろうと推測されるのです。
このような理由で、地方裁判所の本庁の多くは「お城」のごく近隣に存在していると推測されるわけですが、現代において法的トラブルに巻き込まれた方からすると、そのようなある種牧歌的な理由にはあまり興味をそそられるものではないと思います。
ただ、このような裁判所の地理的な沿革を考えると、地理的な沿革のみならず裁判所が有している紛争解決に対する姿勢や訴訟当事者に対する態度などが、ときとして「お役所的」「お上的」なものであることも理解できるものといえるでしょう(※2)。
※1 江戸時代においてはそもそも三権分立という考え方がなく、同時代の奉行所は今の三権分立の観点から考えると司法機関ではなく行政機関の一部といえます。
※2 もっとも、近年の裁判所はかなり市民目線で手続きを行ってくれるようになりつつあり、手続き面で「お上的」な印象を受けることは大幅に減少しています。
<弁護士 溝上宏司>